株式会社近藤建設社長近藤誠人のオフィシャルブログ

追悼式典。

3月11日岩手県は盛岡でおこなわれる東日本大震災の追悼式典に出席するために、東北に向かいました。飛行機で宮城県の仙台まで行き、その日は仙台市内に宿泊をして、朝一番に電車で日本三大絶景の一つである松島に立ち寄りました。地元のタクシーに乗り、運転手さんに一年前のまちの状況や今尚抱えている問題など生の声を聞きながら、津波の被害に合ったまちをこの目で見てきました。

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この写真は沿岸部から押し寄せてきた津波に飲み込まれ、家屋はもちろん電車の線路まで押し流されたまちの写真です。

家屋は点在していますが、手前の家屋は1階部分が潰れていたり、取り敢えずシートやコンパネで潰れたところを封鎖しているようなのですが、人が生活をしている様子はありません。

僕は松島からもう少し先の石巻市まで北上したかったのですが、時間の都合上戻ることになりました。

今回の震災と津波で一番甚大な被害を受けたのが宮城県の沿岸部だそうですが、その中でもこの辺は松島の島嶼群が津波の威力を緩和、分散をしてくれたお陰で、比較的被害が軽微だったと聞きました。

比較的軽微と言われている松島でもこのような状況です。

 

そして新幹線で北上して岩手県盛岡に到着しました。

新幹線から見える風景や盛岡の駅付近では震災の合ったまちのようには見えませんでしたが、次の日にレンタカーを借りて片道2時間程かけて行ってきた宮古市田老町の沿岸部は酷い状況でした。IMG_7454.jpg

 

 

 

写真に写っている建物1階部分は全てなくなり鉄骨の柱だけが剥き出しで残って建っています。

またその周辺にも家屋があった痕跡はありますが、見えるのはその痕跡と道路の跡だけで、見渡す限り何もありません。

この日は3月11日です。以前は自分たちの家であっただろう場所には花が飾ってありました。

 

 

 

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そして僕は防波堤の上に昇りました。

この写真は防波堤の上から山側を写していますが、そこには家屋はありません。

それは、津波がこの防波堤を乗り越え、本来守られるはずのまちや家屋が流されたからです。

過去に2度の三陸津波を経験したこのまちは「日本一の防波堤」と呼ばれ「津波防災のまち」として全国的にも有名でしたが、今回の大津波では無力だったようです。

 

 

 

 

宮古市を後にして盛岡での追悼式典に向かいました。

追悼式典では多くの方が様々な想いを胸に込めて参列されているように感じます。僕は、この度の東日本大震災でお亡くなりになった方たちに黙祷を棒げ、自分に何が出来るのかを考えならが盛岡の地を離れました。

阪神・淡路大震災を経験した僕に今、出来ることは長期的な支援や協力ではないでしょうか。1人が1人で出来ることは知れていますが、復興を合い言葉に日本国民が一つになれば震災復興も大きく前進すると思います。

 

心よりご冥福をお祈りし、1日でも早い復興を願っています。